どこからか香るはキンモクセイの甘い匂い。いつの間にか、あのとんでもなく暑かった夏の余燼は去りゆきて。朝晩の風が肌には素っ気なくも冷たいそれへと移りつつある、晩秋のとある日。
【 お玉リレーに出場する三年生の皆さんは、
入場門横の準備ゾーンへ集合してください。】
【 設営班の先生方、綱引きの準備お願い致します。】
【 お着替え親子レースにご出場のご父兄は、応援席裏の、あ、失礼しました。
退場門脇の、設営班集合ゾーンへお集りください。】
時々“ヒィ~ン”という耳障りなハウリングを起こしつつ、校内放送の声が場内を流れ。それを柔らかく揉むようにして吸い込むのが、校庭に集まった児童たちとその父兄という観衆とが織り成すざわめきの、声、また声。晴れ渡った秋空の下、新興住宅地の真ん中にちょこり、鎮座まします小さな公立の小学校の、今日は楽しい運動会だ。学年別の徒競走に、コース上へ跳び箱や平均台を据えた障害物競走。代表選手がバトンを回して俊足を競うリレーに、お手玉を頭上へ掲げられたカゴへと放り込む玉入れや、頑丈なロープを左右に分かれて引き合う綱引き。並んでいる前から後ろへ、張り子のダルマや縫いぐるみを手渡しし合ってその速さを競うというような団体競技や、父兄参加の二人三脚や借り物競走、組み体操やお遊戯まである、今時にはなかなか種目の多い、賑やかなそれであり、
【 親子で二人三脚にご参加のご父兄は、お子様とご一緒にエントリー願います。】
恒例の種目への集合が放送されると、足に自慢のご父兄が、子供らの応援席まで坊ややお嬢ちゃんを迎えにゆく。昨今の健康ブームを退けても、案外と運動好きなお父様方はいるもので。ただ、腿や脛が上がり切らずに転倒するケースも多いので、子供の戯れなんて馬鹿にしないで、会社までの満員電車に耐えられる体力と、50mだか100mだか走る能力とは別物だということを自覚して。事前にちゃんと、ウォーミングアップはしておいてくださいませね? なんていう注意事項があったせいだろか。きっちりトレーニングウェアをまとったお父様方が多いそんな中、
「やだなぁ、俺、走るの好きじゃないのによ。」
徒競走だけで腹一杯なのによとぶうたれる子供がいるかと思や、
「や~だ~。俺、ルイと走る~~~っ。」
おや。そんな駄々をこねてる坊ちゃんもいる模様。名指しされたお名前から察するに、どこの誰かって想像は容易につくというもので。
「こらこら。せっかくお父さんが来てんだろが。」
「そうだぞ? 妖一。父ちゃんと走ろう。な?」
日頃、怖もて(?)で通している小悪魔坊や。そんな威容には影響しないものなのか、それともこういう策謀の演技も巧みなことくらい、クラスメートの皆様も既に御存知だから繕う必要なんてないものか。皆様にもお馴染みの、金髪色白、ほっそりとしなやかな肢体にカナリアさんのようなお声をした。今だけ翼を畳んでる天使のような風貌の、それはそれは愛らしい男の子が。揃って背の高い、なかなかイケメンなお兄さんたちに囲まれつつ、何やら駄々こねしているらしく。本人はこの人と走りたいのにとしがみついているのが、あらあの人はと先生方にも顔なじみ、惚れ惚れするような広い背中や胸板をくるむよに、濃色のボートネックのトレーナーに少しだけ襟の立ったシャツを重ね着て、長い御々脚はGパンに収納なされた葉柱のお兄さんならば。そんなお兄さんへとしがみつく小さな坊やへ、
「何だよ、聞いてんだぞ? 1年の時は違ったが、一昨年も去年もこっちの兄ちゃんと走ったって言うじゃないか。今年くらいは父ちゃんと走ろうよ。」
上体を傾けてのなあなあと、駄々こねしての他所のお兄さんへしがみついてる息子の背中へ、懸命に掻き口説いているのは。お久し振りですどころか、先生や父兄の皆様へは初めましてのクチ。七年振りに我が家へ戻って来たところの蛭魔さんチの大黒柱、ヨウイチロウさん、その人で。自分のことを“父ちゃん”なんて呼び方しているお人だが、何だ何だ微笑ましい騒ぎだねぇとその場面へ眸をやった父兄のうちの、ご婦人方の10人に9人はその視線が動かせなくなったというから恐ろしい。ご子息同様、蜂蜜をくぐらせたような金の髪に、長く陽にあたっては腫れ上がるんじゃなかろうかと思わせるような、きめの細かい透き通るよな白い肌をし。その風貌も、ちょいと鋭角的ながらも若々しく端正で。
『やっぱりあの坊やハーフだったのね』
『ホント、なんてかっこいいお父さんなのかしらvv』
『きっと本国から離れられなかった外交官とか皇族の方とかに違いないわよvv』
そんなお声が一気に場内を駆け巡ったほどの美貌のお父様ではあったれど、
「だって、俺、勝ちたいもん。」
「父ちゃんと組まないってのとどうつながるんだ、それ。」
「だって父ちゃんはもうトシじゃんか。」
お肌もすべすべ、髪もふわふか。肢体の均整も取れていて、所作の切れもきびきびと小気味よく。どこの紳士服のモデルさんですかと訊きたくなるような、瑞々しいばかりにうら若き、美丈夫なお父上を捕まえて…こんな言い方すっぱりと出来るところが実子の強みか。片や、さすがにもうそれなりに背丈も伸びたヨウイチ坊やなので、足が浮くほどの全身でという飛びつきようで抱きついてる訳ではなかったが。それでも、ぎゅむ~~~っと…お顔を長身なお兄さんの懐ろに埋めての、見ようによっちゃあ恋人にでもすがりついているかのような、それは熱烈なご執心ぶりなものだから、
「ヨウイチロウにしてみりゃあ、そっちへもカチンと来ているのかも知んねぇな。」
「だがまあ、何年も放り出してた前科は前科だしなぁ。」
こちらも毎年連れ立ってのご同行なさってる顔触れの、学生時代にスポーツでたたきあげた屈強精悍な肢体を保っての、それぞれとんでもなくかっちりがっつりと見映えのいい体躯をなさった、今は大工さんやら歯医者さんやらといったお兄様たちが。二人三脚とやらへのパートナーを巡って揉めている親子を取り巻き、半ば呆れつつも…その割に、口元へと浮かべた苦笑は温かなまま、成り行きを見守ってなさるご様子で。
「…そういや操さんは?」
唯一その意見が尊重されよう、彼らの母であり奥方である女性のことを、今頃思い出した歯医者さんへは、
「ヨウイチに決めさせればいいって。」
そんなお言いようにて傍観なさっておいでであるらしいと、眉を下げた困り顔になって告げた、相変わらずに長身なアイドルさんの肩の向こう。少し離れた集合エリアにて、坊やのクラスメートであるセナくんや、そのパートナーとしてこちらさんも今年もお呼ばれしている、大学アメフト界でさっそく“最強”を冠されている清十郎さんらと共に、
「今年はあのね? セナもいっぱい走るの。」
「あらあら頑張ってね?」
などと、日傘片手にお気楽そうに和んでおいで。さすが、ややこしい一家の母はどっしりなさっておいでだ。
「見映えは高校生で通りそうなほどちんまいがな。」
「こらこら、阿含くん。」
ご婦人へ何てことをと苦笑したのは、今年は珍しい顔が来るらしいからと訊いての馳せ参じた、銀縁メガネも凛々しい工学博士さんだったけれど、
「…にしても。譲らないねぇ、ヨウイチロウ。」
渦中のもう一人である葉柱がとうとう口を挟めぬようになったほど、まだ揉めている父と子へ視線をやっての苦笑を深める。彼らにとっても久方ぶりに目にすることとなった旧友は、結構長かったこの7年、どこで何をしていたかも語らぬままだが、
「父ちゃんと組んだら負けるってのか?」
「だって、そんな若作りしてても もう30歳じゃねぇかっ。」
「若作りなんかしてねぇよっ。」
これは地だっ、嘘をつけっ…なんて、小学生を相手に牙を剥き、大人げない丁々発止を繰り広げているお元気ぶりを見ていると、問い詰める気も失せるというところ。
「とはいえ、雲水と高見には、言いたいことが1つや2つはあるんだが。」
「おや。武蔵くんがそんな回りくどいお言いようとは珍しいね。」
「兄貴と同んなじに途惚けてんじゃねぇよ。」
この顔触れ同士だと、実は一番の実力者じゃなかろうかという、この工学博士殿とそれから、阿含の双子の兄上と。誰にも何も告げぬまま消息を絶ったとされていたあのお父上だが、実は実は。その所在というもの、この二人にだけは知らせてあったらしくって。
「ウチの兄貴がヨウイチや操さんの情報を送る役で、あんたはあんたであいつの健在を確認する役だったんだってな。」
「というか。それを条件に、送り出したって順番だが。」
自分の矜持に関わる決断だから、止めたって無駄だと。それこそ手段を選ばず、満身創痍になったって出て行こうって勢いだったんでな、と。淡々と語ったのが雲水ならば、
「無事に帰って来たのだし、操さんと妖一から訊かれたならともかく。」
そうでない限りは誰にも何も言わないと。暗にそう言いたい彼なのだろう、くすすと微笑って口をつぐんだところも、誰かさんの兄上とお揃いの高見氏だと来ては。
「う…。」
「え~っと。」
「~~~。」
誰が食い下がれようかという、不思議な相性だったりする彼らであるらしい。そんな外野はともかくとして、
「妖一~~~。」
「ヤダったらヤダっ!」
みぞおち辺りへぎゅむぎゅむと、小さくて愛らしいお顔を押しつけて来られるささやかな温みには、正直、そのお顔が緩みそうにもなりかかる葉柱ではあったものの。口を出す隙さえも塗り込める勢いの、似た者父子の取り無しと拒絶の応酬には、
“う~~ん。”
こういう舌戦もまた、親子のコミュニケーション、他人が口を挟むことさえ憚られることじゃあなかろうかと感じたか、この彼には珍しくもちょいと腰が引けてしまっていたものの。
「…妖一。」
「なんだっ。」
声をかけたその途端、じろりと、妖一本人のみならずお父様からまでという格好で、似たような尖った視線が二人分飛んで来たものの。ここで怯んでは話が進まぬ、
「いいから、お父さんと走って来い。」
「だってさ~~~。」
こちらも少々演技混じりのそれだろう“何だよ、一緒に走ってくれないの? オレんこと嫌い?”なんてな甘~ぁいお顔を向けられて。うっと一瞬、言葉に詰まりかかったもんの。(おいおい) お返しとばかり、間近いところへ来ていた小さなお耳へぼそり、彼にしか聞こえぬボルテージで囁いたのは、
「知ってんだからな。お前、サイトの裏ページで賭けやってんだろが。」
「う…。」
おやおや、今度は坊やのほうが言葉に詰まっておいでの模様で。そっか、そんな事情があったればこそ、いやに勝ちにこだわってたんだな、あんた。(苦笑)
「親父さんだって結構 脚速いのかも知んねぇじゃねぇか。」
「どうだかな。」
坊やとしては、現役バリバリの大学アメフト選手である葉柱の方が断然速いと踏んでのこと、それで繰り出されていた…彼には珍しいくらい諦めの悪い駄々こねだったらしくって。
「ともかく。俺は走んねぇからな。」
「そんな~。」
思わぬ方向からの切り札が出て来たもんだから、あやや、これは困ったとしがみついてたトレーナーをゆさゆさ引っ張ってはみたものの、
『あれでルイも結構頑固だかんな』
それこそ長いお付き合いでよくよく知ってる気性だから…と、大人みたいに肩をすくめた坊やだったのは後刻のお話。こうなっちゃあ粘っても無駄だという察しも早めについて、
「…判った。」
そろり、身を離すと。それでも最後の名残りみたいに、うつむいたお顔のおでこをグリグリ、お兄さんの腹辺りへ押しつける所作のかわいさに、
「判ったから。」
体操服に包まれた小さな肩へと手をおいて、静かなお声を掛けたルイさんは ほのぼの。それ以外のお兄さんたちは…
「~~~えっとぉ。」
「…ヨウイチロウ、大人げないから。」
「演技でも睨むのはよしな。」
こちらさんもまた立派な駄々っ子だったお父様への気遣いで、こっちも重々疲れたわいというお顔のまんま、何とも言えない苦笑が絶えなかったりしたりして。何はともあれ、やっとのことで了承が下り、
「じゃあ、ひとっ走りしてくから。」
「応援、忘れんなよ?」
どっから見たって父子だよなという、そっくりな姿のお二人が、揉めてた割に…それでも微笑ましくも手をつなぎ、集合場所へとたかたか駆けてくのを見送って。
「~~~。」
「あ~あっと。」
「やれやれだ。」
どっと疲れたと言いたげに、こちらの一堂全員がほぼ同時に溜息をついたのは言うまでもなかったり。ここまで賑やかに揉めた末の二人三脚は、ぶっちぎりで優勝しないとまたぞろひと悶着しそうな雰囲気ですが。そっちの下りは…皆様のご想像にお任せすることにして。(こらこら) 抜けるような青空の下、小さな小悪魔坊やが、ああまで楽しそうに走ってるのを見るのは久し振りだよなぁと。いつもあんまり間近にいたもんで見えなかった遠景のカレ氏の無邪気さに、こっそりと惚れ直した誰かさんだったことを、ここに加筆しときましょう。
~どさくさ・どっとはらい~ 07.10.24.~10.25.
*実はアットホームパパだったヨウイチロウさんで。
蛭魔さんの姿で中身は栗田さんだったりするのは詐欺でしょうか?
…いや、本性は坊やも顔負けのやり手なんですけれどもね。
これまではまだ阿含さんほどには敵愾心もなかったパパさんも、
これを機に、ルイさんへ激しくライバル心を燃やしたりして?(苦笑)
でも、そんなしたら覿面、坊やからは嫌われますので、
どうか落ち着いてのご再考を…。


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